Baronesse

    
 
Baronesse


This name`s rose  come from Rosen Tantau.I got this word imaged of  the lady who understand inner longing of the artists. They did more special influence  than a patron did to the artist.In return he devoted his piece of work to her being deserved to her beauty.That charm was engraven on the heart of artist , the art has been engraven on our hearts  and will be.
Now we have just knowed that  she lived in the piece of history.

 
anna-marie erdödy for Ludwig van Beethoven
  She was magyar woman who lived now in Croatia. 


                      
                            
                                                                             
for Richard Wagner     Pauline Clémentine Fürstin von Metternich  She was born in Magyar family,too. 
Wagner`s Tannhäuser charmed her inner heart.
   











 

for Peter Ilyich Tchaikovsky    
Nadezhda Filaretovna Frolovskaya.
She had never knowed his face but percievd  him with the spirit.

     
 

flower , and its nation and its people

           
                    
敷島の大和心を人問はば朝日ににおう山桜花 本居宣長                                                                                                                
Shikishima no yamato gokoro wo hito towaba asahi ni niou yamazakurabana *  
      
* Anyone who ask about the spirit of Japanese,
     I will say  that is the scent of yamasakura hanging in the mornig sunlight
Motoori Norinaga 

日本という花は、明治以降どのように咲こうとしたのか?
当時、ヨーロッパの地図を見れば、都市を横断してみれば、
ポーランド・ハンガリー・バルト諸国ほか、幾多の美しい花々を はじめ、数多くの稀少品種が、ドイツ・ロシアという巨大な花に、
大量破壊兵器による戦争と金融資本という、物質経済を主要な養分とした、
人間性とは隔離された花壇の中で、今まさに、その根をむしばまれつつああり、
実際その後、半世紀から一世紀にわたって、自由に花咲くことを妨げられた。
 
そして、日本もまた、いずれはロマノフ=ロシア王朝の侵略に晒される、日本はこのポーランドの受難から学ばねばならない、感受性の強い日本人ならば、きっとそう思ったはずでしょう。                                                                                                   
 
のちの会津藩(Fukushima福島県)家老、山川大蔵浩 Yamakawa Oukuraが、
21才そこそこで 小出秀実を中心とした幕府の使節とロシアのサンクト・ペテルブルグに滞在した際、カール・マキシモヴィッチに出会ったかどうかは、わからりませんが、サンクトペテルブルグ首都散策で、植物園にはいって、日本の花々の標本が稀少価値の高いものとして展示されていれば、驚いたことでしょう。
山川 浩が、ビスマルクやナポレオン三世と謁見した王宮の庭、またその国の駅前広場で、街角で目にしていた花々は、どんなものであったのか。
またプロシア、ロシア、オーストリアに支配された、ハンガリー、ポーランド、リトアニア、などの被征服国の独立を目指す人々が、カフェで聞きなれない言葉で、血相を変えた顔つきで話し合っている姿を目にしたかもしれない。
まったく、環境の違う人間。
日本は、物質的な意味では、世界で第三・四番目の走者であったでしょう。
ドイツ人 Henry& Edward のシュネル兄弟 が幕末の会津藩に武器商人として参加します。山川浩もドイツ語、ヨーロッパ文化を事前に学んでいたはずです。 

 
山川に限らず邦人留学生は、Frederic Chopin ショパンのことも耳にしていたかもしれません。同じ仮想敵国ロシアを持つ民族同士として、ポーランド人には温かく迎え入れられたでしょう。ショパン、当時のヨーロッパの特徴的な人間の元型のひとつ。
兵士としてポーランド軍に参加して、ワルシャワをロシアから守りたくても、自分には兵役にむいた体格ではない、しかし音楽によって、ポーランド人の心を高め、その抵抗活動を理念的に伝えることができる、仲間は若くして戦場に倒れている、その心情を音楽で表わすことができないか。
この独特な創造的意志は、異民族同士の戦争の絶えない欧州であるからこそ、湧きあがったものであり、地理的に幸運であった日本には生まれえません。
陸続きで、生まれながらにして、対立と相克を運命付けられたヨーロッパ人の若者の死が、声ならぬ声として、ヨーロッパの物質、アストラル体、エーテル体を支配し、
調和を使命としたヨーロッパの音楽家を刺激して、作品として結実させた。
生と死が、芸術と戦争が、同時期に映し出されていること、

 
当時の日本人が、chopin etude op10-1、 op10-12を初めて耳にしたときに
それが宿しているものに、どれだけ畏れを感じたことでしょう。
単に美しいとかいう感情ではない筈です。













 

さくら山 君が名残の言の葉の 花やいくよにさき匂ふらむ 
                                    
Sakurayama Kimi ga nagori no kotonoha no 
 hana ya ikuyo ni sakiniouran

 山川 浩   遺稿歌集『さくら山集』より



             



会津戦争で、一戦を交えた敵、土佐藩士
谷干城(たに かんじょう)申太郎 
後に、山川と共に、西南戦争で、西郷隆盛の薩摩士族と戦う。
山川浩没に際し、下記の様に、弔文を寄せている


谷干城
 

明治維新、余は軍務の乏(とぼ)しきを承(う)け、君の名を聞く。
丁丑の役、君は弧軍を拉き賊背を衝き、もって孤城を救う。

その功また偉にして、その賞は足らず。
その功に酬いるに、官はその徳を称せざる所なり。
しかるに君は坦懐(たんかい)怡然(いぜん)として、毀誉栄辱を忘る。
今や学術技能の人は雲の如くして、武夫の節操君の如き者は、はたして幾人か。
夜半端座して、君の操行を追懐し、覚えず慨然涙下るなり。
君はもとより和歌を嗜み、興に乗じ感に触れて、其の志を言う。
余はもとより和歌を知るにあらざる者といえど、しかるに君の人たるを知る。
すなわち敢えて他人に譲らず、故に辞せずして、これを序す。
      
          時に明治三十五年四月 隈山居士谷干城撰



目が太陽のごときものでなかったら 
Wär nicht das  Wär nicht das Auge sonnenhaft

                                              
Wär nicht das  Wär nicht das Auge sonnenhaft,
die Sonne könnt es nie erblicken.
Läg nicht in uns des Gottes eigne Kraft,
wie könnt uns Göttliches entzücken?

 
目が太陽のごときものでなかったら、
どうしてわれわれは光を見ることができよう?
われわれの中に神自体の力が生きていなかったら、
どうして神々しいものがわれわれをうっとりとさせることができよう?                                           (高橋 健二訳               

            Johann Wolfgang von Goethe 
        ヨーハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテ     
                                                                                    

  

    
  
File:Milk thistle flowerhead.jpg                            
       

   
  
   
   
                 
      
                                       
 


Rachel Carson ~the writer of  「Silent Spring」  
     レイチェル・カーソン 「沈黙の春」著者    

      
   ファイル:BBGMonarchButterflyWings.jpg                            
  A child`s world is fresh and new and beatiful ,
   full of wonder and excitement.
 
  It is our misfortune for most  of us that clear-eyed vision,
  that true instinct for what is beatiful and awe-inspiring ,
  is dimmed and even lost before we reach adulthood. 
                 
            from her work 「the sense of wonder」

  
子供は、新鮮で、瑞々しい美の世界のもと、驚きと躍動に満ち溢れた中でその生を過ごすだが、大人の世界に飲み込まれるうち、いつしか
ビジョン、美意識や畏敬を覚える対象への直観を忘れ、それを失う。  

 
And I wish this would be connected to all the communty  funds
that managed  by  the people living with flowers in the world,
and we should watch and take care of this for a long term perspective. 


Power of flower



アフガニスタン

ペルシャ語     قدرت گل

チューリップ


ハイチ 共和国

クレオール語    pouvwa flè


                               Roystonea regia   ダイオウヤシ



インドネシア
インドネシア語    daya bunga

Melati  /  Jasmin



アラビア語  سلطة زهرة

シリア

    アンズ杏 /Prunus armeniaca




アラビア語  سلطة زهرة
 リビア   
                                     石榴/Pomegranate



the power of  flower
フィリピン
               マツリカ(茉莉花)/Jasminum sambac




the power of flower
イギリス

                                                                   Rose/薔薇

le pouvoir des fleurs 
フランス語

                                     百合/lilium


hatalma virág       ハンガリー語    
         ゼラニューム(テンジクアオイ/Pelargonium )
 
moc kwiatów         ポーランド        
      パンジー/Pansy/野生の交配種より
  

gėlių galiaリトアニア語                       
                 ヘンルーダ/common rue/ Ruta graveolens
                   地中海沿岸地方の原産/ ミカン科


die Kraft der Blumenドイツ  
                  ドイツ: 矢車菊/Cornflower/Centaurea cyanus


          オーストリア:エーデルワイス Edelweiss



kekuatan bunga     
マレー語 

 シンガポールVanda Miss Joaquim ランの交配種となる「バンダ・ミス ジョアキム」  
  
         マレーシア:  Bunga Raya ブンガ・ラヤ(Hibiscus ハイビスカス 


花的力量  台湾
         梅 an ume; a Japanese apricot

花卉的权力
中国   

                  
                                     牡丹/peony

 
de kracht van de bloem
オランダ
チューリップ/ Tulip

il potere del fiore
イタリア語        

                                               雛菊/Daisy

сила цветка
ロシア
            向日葵/Sunflower
 
moč cvetスロヴェニア語
コムギWheat

ուժը ծաղիկների
アルメニア語
                        
                          アネモネ /  Anemone

The flower of power

          Newzealand:ハナミエンジュ/ Robinia hispida

poder de las flores
スペイン語
                コロンビア: カトレア/Cattleya

                       
                   エクアドル: リカステ・スキネリ/Lycaste skinneri

 







Project Gracely presents
Watch the coflict between Life and Science through Fukushima
                                 

第一部 : 「Guest Speech」

福島の有機農家の方をお招きして、農業と国家、そして時代への考察を伺います。
国際間の農業競争における、安易なグローバリゼーションへの問いかけに始まり、
放射能、都市部での風評にさらされる中での、有機農業の現場の声をお聞きします。

当日、観客の方々との質疑に十分な時間をご用意します。
忌憚なく、意見をお聞かせください。
ドイツの有機農家からのメッセージがございます。
(全編、日本語で行います)


第二部:「Power of language Forum&Discussion

第一部の福島の声をもとに、我われの時代の核心を少しでも議論のなかで見出したい、
世界の有為な方々と話せるように英語を使用して。
新しい社会への考察の出発点にしてほしい、そういう願いがこめられています。

*当イヴェントの第二部は双方向性を旨とするため、聴衆の英語による、
 積極的な議論への参加をお願いしております。


専門的な英語教授法を駆使したオリジナルメソッドによる、Facilitatorと聴衆との新しい形の議論。
(基本的に全編、英語で行います)

みずからインテリジェンスを掴みにいくことが求められ、
周囲との意識の交感が必要であり、交流からの衝突もある。
何よりも、明朗闊達なコミュニケーションこそ、「ゼロから何かを生む」手段であり、人間らしい解決法です。
また、ドイツの教育現場からのスペシャル・メッセージをご提供します。




~~~~~~~~

我々は、震災から何を学んだのだろう、どんな予防原則をあたらしくつかみとることができたのだろうか?
絆がうたわれ、同情の論調と風評が交差するばかりで、その場での感情にながされているだけではないのか。

日本の場の空気は、それだけで「倫理的な価値」をもたらすほど、大切とされる。
福島の県民、そして農家のかかえる苦しみは、その日本独特の空気のなかで、
醸成されるものも多分にあるのではないか
福島のひとびとが抱える「矛盾」をみていきたい、そこから海外の国々のかかえる問題もみえてくる。

「人類は、短期的視野で生産性の向上をめざす生き物である」
これは「科学」として、人間の尊厳、倫理に立ち向かってくる。

その矛盾の落とし所をみつけ、相反する要素を統合して(Synthesis)した
予防原則をわれわれは、用意しているのだろうか?
Shintaro Watanabe


福島総合農業センター展示 (郡山市)

東日本大震災より1年という特別な時期に、専門家と市民の意識の共有を目的に、開催します。
詳細は、このページで発表してまいります。


plannig: project gracely
facilitator & navigater: 英 利秋 Toshiaki Hanabusa
producer: 渡辺 信太郎 Shintaro Watanabe
special adivisor & producer: 山片 重信 Shigenobu Yamakata


福島県二本松市 東和町針道


福島県二本松市 東和町針道



福島県農産物 県開発オリジナル品種



二本松神社




JR二本松 駅前




JR福島駅

宮城県女川町コンテナハウス 花屋さん 7/16 .2011

私には目的があった。
まず訪ねてみなくてはという場所があった。

先月、初めてGoogle earthで、この女川の地を見たときに
愕然としました。地図で見られるかぎり、
花屋さんはすべてほぼ全壊のように見えました。
女川湾に面して、4つほど花屋さんをお見かけしました。(敬称略)

*フローリスト花かず
*佐藤生花店(フラワーショップさとう)
*花実咲き
*フラワーショップ花友
 
そんな中、女川コンテナハウスというものを知り,
you tubeで見たときに「あっ」と思いました。

「フラワーショップ花友」さんのお名前が挙げられていたのです。
(先月、このブログの「Book of days」の項でご紹介)

岩手、宮城、福島の被災地域でお花屋さんは、30-40件ほどで
再起の意志を述べられている一時閉店のお店、なんとか再開できたお店など
ブログで状況を把握できるお店は数件に限られていました。
そんな中での、ひとつの良い兆しのようなニュースでした。

花屋さんもそうですが、地域の人々の生活に根付いた商店の運営に、このコンテナは
これは、菅原 出という方が発案し、イタリア製のコンテナハウスを利用し
設置に時間と費用がかからず、そして場所の融通がきかない国の仮設住宅と違い、
利用者のニーズに適した場所に設置できるものです。
ココニコ様(株式会社Zenpro様)が運営し、
NPO・難民を助ける会さまへの一般寄付を呼びかけ、コンテナ利用者に無償で提供されています。

自治体や消防署の仮庁舎、そして自治体の復興計画なくして自分の土地でも
家を建てられない、商売をはじめられない方々に、無償で提供されているということです。うまくマッチしたといえるようです。

ファミリーマートをはじめ、ナショナルチェ-ン・コンビニの大量出店、
また被災はしましたが、県外顧客がいて、クラウド・ファディング(croud funding)=不特定多数の小額出資を集める中小企業、
これらニュースに掻き消されがちな

花屋さんをはじめとする、地元の愛好・消費に立脚した商店も、
地域の文化と特色をささえる上で、絶対に必要なものと私は考えます。
 
 国道398号線沿い、町立病院の下から歩いて西に15分くらい。
わたしは、夕暮れ時、閉まっていないかドキドキしながら向かう。
 
ありました!

 
赤いエプロンをした女性が戸口のところに、ちょうど立っていらっしゃっいました。
 
ご挨拶すると、「こんにちは」と静かで穏やかな口調。

(図らずも、私はお名前をききそびれました。以下、花友さんと呼ばせていただきます。)

ここに来た経緯を伝えたあと、フラワーキーパーとかはどうされたのですか、と聞くと、
中をどうぞと、コンテナの中をみせていただくことに。

瓦礫の間を湾のへりまで歩いてきたから、くさいかなと心配したが、
「どうぞ」
あ、ひんやりした空気、花屋さんのにおい
花がいっぱいだ。ところ狭しとぎっしり。
 
表参道の紀伊国屋のエスカレーターをあがったところの
小さなスペースのちょうどクリスマス時の様子を思い出した。
奥にエアコンが。
 
紫のスターチス・赤白複合のミニカーネーション
ユリ・小菊・オレンジ色の紅花
そして赤とピンクのバラ。
 
ちょっと窓べりにおけるグリーンもたくさん並べられています。
すぐ、お祝いに差し出せるように、ラッピングとリボンもつけて
このリボン・・・
 
そう、表のポップスタンドの言葉も、「Welcome!!」の幕も、
今、写真で見返しても、わたしが今回たくさん訪問して、みてまわったポップの中でも
 気持ち`がつたわってくるのもので、お世辞でなく、いちばんかもしれない。
 
  
「もとのお店はもうすこし大きかったんですよ。ここはその4分の1くらいでしょうか。。」
マリンパル女川(写真右下の茶色の建物)の左手前にお店はあったそうです。
今はなにも残っていません。(手前の手すりは女川町立病院)
 
東京の震災前後の下降する花き消費事情、ガーデンローズのことなどお話すると、
「こちらは、もうお花があること、あるだけで、せいいっぱい。ありがたいんですよ」
 
わたしはことばが詰まりました。
ほんとうに、一本一本がたいせつなものであることを、
町民の方々への気持ち、無償でコンテナを提供して声をかけてくれた方への感謝を、
そして、花友さんはご家族のことをお話くださいました。
ぽつり、ぽつりと、思い出されるように。

何とお声がけしたらよいかわからなかった。

・・・・・・・・・・

お父さまが行方不明のままであること。

漁師で船で沖に逃げられたが、しばらくした後に、女川湾から15分ほど離れた沖合いに
ご所有の船だけが見つかったこと。
「他の町民のご家族のことを聞くと、自分の家族のほうがまだまだ。。」

胸がつまる思いで私は聞いた。
 
「まさか、お店を再開するなんて思ってもみなかった。」

「でもこの女川湾からくる潮のにおい。」
 
時間がたってくると、過去に生きてきた時間がよみがえってきて
またここに住みたいと思うようになり、町内の皆さんからも声をかけられて、

「それならもう一度」
 それまでは、町のみなさんは、イオン石巻に買いに行かれていたので

「ああ良かった、よかったね!」
「やっぱり、なんかのときにお花がないと、さびしいんだよね!」
口々に言われるそうです。

花友さんの嬉しそうな顔に、わたしも嬉しくなりました。
 
 
仙台花き市場内のお付き合いのある仲卸さんをご利用になり
こまめに仕入れに行かれているそうです。

今は何が売れるかは、(石巻ほど)葬儀用花の需要というわけでもなく、
とにかく試行錯誤であると。
電話もネットも使えないなか、娘さんが携帯のミクシィで窮状をうったえたところ、ご友人、知人から、
「ほんとうにたくさんの、資材、リボンや綺麗な包装紙、使いかけでも丁寧に巻いた状態で
送られてきた」とのことです。
ここで、石巻の立花屋さんとまったく同じことばを、、
「みんな、やさしくて、日本をみなおしました」
 
そして、先立つものについて。
聞くところによると、女川町の復興は、8年計画とのこと。
「8年も待てないわ」はにかみながら女性らしく言う。
原発については町民の方々は?

「今回も問題なかったので、今後もとにかく信用するしかない」
私は、ここをなんとか、インターネットで多くのひとに知ってもらって
観光地のようになり、非被災地のひとびとが足をはこんで
消費していただくようになればいいですよね、と口にすると
 
花友さんは、だまって無言で「今はそんなこと思えないし、期待なんて」というような
少しさびしげな微妙な表情をされた。
当然だ。7/1、今から2週間ほど前、一歩踏み出したばかりなのだ。
石巻の立花屋生花さんは、5月の連休あけだから、ほんとうに「ようやく」なのだ。
実はこの日、お昼ごろ、コンテナハスプロジェクトの関係者の方(発起人の方でしょうか)が
訪れてきて、花友さんがなんとか軌道にのせて感謝の旨を報告されると、
その方がぼろぼろと涙をこぼされたそうです。
話の途中で、元気な男の子がはいってきた。よそものの私に明るい表情をみせてくれた。
この子が青年になったとき、県外から、海外からも旅行者が訪れるようになれば。
そういう刺激は彼の成長には必要だし、それが街の成長そのものになるだろう。
時間はかかるが、正しく積み重ねてこそ文化だ。

私は、小さな花束を購入して失礼させていただいた。
コンテナハウスの他のお店もみてまわればとあとでおもったが、

もうじゅうぶんだった。こころに思うことがたくさんあり、
とにかく多くの友人、ひとびとにこのことをつたえなきゃと心に誓った。

帰り際に、撮った写真。 
商店街のかたがた、軽く会釈をむけてくださった。
 
「がんばろう」は町の人同士では、つかわないし、自ずとつかわなくなる、と
「とにかく、むりしないでね」と、精いっぱいがんばる人を思いやることばをかけあう。
花友さん、とても大切なことを打ち明け、教えてくださり、どうもありがとうございました。
また、皆で伺いますね、たくさんのひとにこのことを伝えます、それまでお元気で。