セルビア北部の都市スボティツアから、北東へ数キロの
セルビア領内ハンガリー人の村ハイドゥコヴォ(Хајдуково・Hajdukovo )の
マーラー・オスカール・ワイナリーの畑より、2014.10月の収穫時。
素晴らしい歴史的な遺産 そしてこんなに若々しい新しい実をつける
樹齢109歳の白ワイン品種:
Sremska zelenikaスレムスカ・ゼレニカ(セルビア語)
SZEREMI ZOELD セリミ・ズォールド (ハンガリー語)
「スレム地方の緑」の意
私は、マーラーさんのワインでは、
これと、Bakator(バカトル)、ケヴィディンカが好きだった。
1881年のKadarka 種の枯れ木を片手のMaurer Oscar
2014.March.24 ハイドゥコヴォ Hajdukovoにて
2014 Octover 8
2014年10月~収穫期のセルビア・ヴォイヴォディナ自治州(Vojvodina)の歴史的な大ワイン産地フルシュカ・ゴーラ(Fruška Gora セルビアの国立公園でもある)近くのマーラーさん(Oskar Maurer)の畑より。雨でやられた不作のメルロー種。
この年は、初夏からの大雨による不作で例年の10-20%しか収穫量がなかった。
ボスニアでは100年に一度の大雨で国土の3分の1が水浸しになった。
ここは、農業、ワイン作りが盛んで、多民族が住む土地であり、同時に、数多くの葡萄の品種がある。
マーラーさんとは、2014年3月に出会い、その年の夏、秋、冬と、畑と醸造所をめぐらせて頂き、一緒に葡萄を積み、醸造を手伝った。
1909年 樹齢105年の葡萄から作ったワイン
「1909 SZEREMI ZOELD2012」
彼は、古代、近代の、このパンノニア平原、ハンガリーの1000年に渡る葡萄栽培、ワイン醸造の歴史、それはハンガリーの国家成立時からの歴史、ハンガリー人の人生そのもの。
マーラーさんは、あらゆる品種、その相応しい土地の特色など博識の方で、
ハンガリー人としての誇り高く、不幸にも先祖代々の土地が、第二次大戦後セルビア領になったため、セルビア国籍であった。しかし、育種や醸造についても、同業のセルビア人醸造者からも尊敬を受けていました。
ハンガリー人が国境を超えて、マーラーさん宅に、ワインと食をたしなみに来るのを
たびたび見かけていました。(私も、幾度も、彼の家で食事をご馳走いただいた、この感謝は忘れない。葡萄の搾りをしている合間、皆と一緒に庭で、ターキッシュ・コーヒーも味わった。)
さらにかれは、聖書についても深く知り、聖書やハンガリーの古書に書かれている葡萄にまつわる文書についてもよく知り、語り部のように、ときおり彼のショップに、スボティツアの町の人をよんで、弾き語りならぬ、ワインと葡萄についての独演会をされていた。
彼の言葉は同郷のハンガリー人達のこころをとらえて離さず、皆、深く聴き入り、
時に笑顔で、夜がゆっくり更けていくのを心ゆくままに楽しんでいた。
なんと人間らしい、ゆたかな時間だろう。
もちろん、セルビア人、クロアチア人、イスラム系(ムスリム)のひとたちも彼のワインショップにやってきます。ここは多民族共生の土地なのだから。
私が彼に初めてあったのはその‘独演会‘においてだった。
NATOがセルビアを爆撃して、ここSuboticaにも
被害を与えた日1999.3.24から、ちょうど15年目の2014.3.24に
私がこの場所を訪れていたことを、帰国してから知る。
この日は朝からシトシト雨が降っており、昨日までの春の陽気から冬に戻ったような寒々しさと陰鬱さを街は醸し出していた。その場に自分が居合わせたことを不思議に感じた。
中心部で慰霊祭が行われていた。
セルビア人で知り合ったある程度の年齢の方は、みなこのいわれのない、
NATOの卑怯ともいえる民間人、民間施設への爆撃を非難していた。
当時の戦争の原因から経過まで米国を始めとした大国の思惑と利権による介入があり
その後、次々にセルビアと同じ目に遭う国が表れることになる。
私は、タクシーでノヴィサドNovisadまで向かい、スレムスキ・カルロヴツィSremski Karlovciでワインを購入し、
そこから電車で再度北上、セルビア国境を越え、
ハンガリーブダペストまで直通の列車に乗った。
ドイツのボンまでの行かなくては、と、なぜならMarch.26はベートヴェンの命日だから。
寝台列車でライン河を北上、朝もやと、川から蒸気がたっているのが、美しかった。
Marksburgマルクスブルク城 ~列車でライン川を北上中 朝6時代に車窓から見た風景
ピアノを弾かせて頂く
翌日は隣のボンへ
2014.March 26 ボン中心部にあるケルン選帝侯大司教の宮殿の公園を背景に
Koevidinka2012(Bela) Maurer Oszkar
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バルカン半島全体を周遊した。ワインの取材をメインに。
その際、日本人指揮者のベートヴェン第九の演奏会がボスニア・ヘルツエゴヴィナのサラエボであり(第一次大戦開始からちょうど100年の記念式典)その晩餐会のために、マーラーさんのワインを大量に調達させてもらった。
スボティツアの彼の店からサラエボまで、セルビアの海軍兵士だったタクシーの運転手にワインを乗せて連れて行ってもらった。
マーラーさんは、ボスニア紛争のときに、セルビア軍に従軍し、セルビア在住ハンガリー人兵士としてサラエボ攻囲戦でスナイパーとして幾冬も過ごしたことを仲間から聞いた、
ハンガリー人兵士は、セルビア人よりも、より危険な前線に送り出されたことにショックを受けた。戦後は、地方行政府から安ワインが大量に送られてきたことも、戦争のトラウマ・被害を中毒で忘れさせる、政府が非人道的な対応であったことも。
マーラーさん自身は当時の経験は自分の口からは語りたがらなかった。
2014.6.27
神様の恵み、神様そのものともいえるひとつの大きな葡萄の木の、
それぞれ四方八方に伸びる枝であるわたしたちは、
過去世で生活をともにした見えないご縁が、
ひとときでもこのように現世でも再現した嬉しさによって
その旅のなかでも格別な思い出となり、
そのあとの人生においても、わたしたちを真に勇気づけてくれるもの
「わたしは まことの葡萄の木 あなたたちは その枝である」I am the vine, you are the branches. - Jesus Christ.…新約聖書ヨハネ福音書15章」
En Vagyok Az igazi szőlőtő. Ti a szőlővesszők (ハンガリー語)
国ごとに固有の呼び方をしていても、品種的に全く同じものが見られます。
東欧の国々は古来より、葡萄が繋げ、葡萄を愛する人がそ
皆
モノ造りの心もそう。
新旧の造り手の不滅の情熱は、度重なる戦争で破壊された様に見えても、
しっかり受け継がれており、破壊し得ない、そう思います。
伝統的な造りのワインの本質は、テクノロジー、ケミカルワインの及ぶ所ではありません。素人の私でもきちんと経験すればその違いを感じます。
ヴォイヴォディナのスレム地方の原種の葡萄を育てる彼の情熱、香りの素晴らしいワイン、自宅でのもてなし、
一緒に働いたハンガリー人たちのやさしさ、実直さ、本当に忘れられない思い出です。
2014年に、マーラーさんのカダルカKadarkaという品種(1880年から存命の種)をみてから
葡萄の生命力に感嘆し、また、そのkadarka種が、遠くトルコの方から発祥した種で
各地で土地の固有名で呼ばれていることに興味をもった。
彼の話では、トルコのイスタンブールのユスキュダル(Üsküdar)場所がこの品種の命名に関係がある可能性があるかもしれない、と言っていた。
カダルカ種(ハンガリー)の同品種別名 呼び名が民族によって異なる
カルメットKallmet アルバニア
ギャムザGamza ルーマニア・ブルガリア
バルカン半島の戦争の絶えない時代に、ある民族の農民から別の民族の農民に、民族をこえて、美味しいワインの美味しい葡萄の品種が国境をこえて伝搬していっている事実が、
人間の愛するものに国境はなく、それで人生と生活に華を添えてきた、ワインと葡萄に、
何か平和の象徴的なものとしても深く感じるものがあった。
キリストの言葉も、その葡萄の枝が、夏の間、旺盛に四方八方に伸び、高々と天に向かって
樹勢を保つさまも、「万人に愛されること、汎用、品位、生命力」を感じさせるものが葡萄にあるからだと思います。
私は、各地に葡萄の品種、そしてカダルカの各地の呼称のものをこの目で見て、また飲みたくなり、サラエボでの晩餐会のあと、さっそく、各地への旅に出た。個人的な東欧葡萄巡礼。
その動画です、ぜひご覧ください。多民族のブドウ園を訪れました。
「2014夏 葡萄の木は民族をつなぐ」
ミリャツカ河(Miljacka) サラエボの中心を流れる川
ここからバルカンの国々を回る。
ドナウ河、そしてサヴァ河、オヒリド湖、シュコドラ湖、パリッチュ湖、
御縁があった街とそして人々は、みな水のほとりに住んでいる方々でした
2014夏の経路 (冬にはクロアチア、スロヴェニア、オーストリアへも)
セルビア
→ボスニア・ヘルツエゴヴィナ
→クロアチア
→モンテネグロ
→アルバニア
→マケドニア
→セルビア帰還
Oskar Maurerさんの大キリスト農園(2014 10月)
場所:セルビア、ノヴィサドからすぐ南側の都市スレムスキ・カルロヴツィСремски Карловци ドナウの河畔からそう遠く離れていない、小高い丘にあり、
朝の日光に照らされる、壮大な眺めの畑。
千年以上のワイン文化を感じさせてくれた。
2014年は、ほぼ1年中東欧で過ごしたことになる
春には、ポーランドのクラクフ、ハンガリーのブダペスト、トカイ、マード、オボウイサント、セルビアのスボティツア、スレムスキ・カルロヴィッツ、ドイツのデユッセルドルフ、ボン
ブダペスト東駅Budapest Keleti
Elisabeth von Österreich,Sissi(Kaiserin Elisabeth Denkmal, Budapest)
皇妃エリザベートの像 ブダベスト
マーチャーシュの噴水の隣にある4つ星高級ホテル
2014年当時のホテル名はBOSCOLO BUDAPEST
現在はAnantara New York Palace Budapest Hotelに改名したようです。
アメリカのニューヨーク生命保険会社により1894年建てられた
ハンガリーの美しい文化遺産
1900年代前半からハンガリーの作家、映画制作者や芸術家たちが集まっていた
映画「カサブランカ」を監督した、後に「マイケル・カーティス」の名で世界的に知られることとなる映画監督、
ケルテース・ミハーイも1910年代にこのカフェに頻繁に足を運んでいました。
ハンガリーの革命独立戦争記念日 3.15にゲッレールトの丘に登る
Szabadság-szobor 自由の像 ハンガリーブダペストのブダ地区
MINDAZOK EMLÉKÉRE AKIK
ÉLETÜKET ÁLDOZTÁK MAGYARORSZÁG
FÜGGETLENSÉGÉÉRT, SZABADSÁGÁÉRT ÉS BOLDOGULÁSÁÉRT
ハンガリーの独立と 自由と幸福のために 命を捧げた者達 全てを記念して
マード村の葡萄畑 2014.3.17
セプシ・ワイナリーのそれぞれ畑の名前の付いたワイン
(キラーイ2008、セプシ2009、セントタマシュ2010、ベツェック2011、
ニュラゾー2011)
1631年創業の18代目のセプシ・イシュトバーン氏
貴腐葡萄よりできたワイン
サモロドニ2008、アスー2006(セプシ・ワイナリー)
ビルサルマーシュ2007(ロイヤル・トカイ)
MAD村葡萄畑の地図
Mad駅 2014.March16
Madi Kuria Hotel 2014.March202014.3.18 桜の木が、葡萄畑い沿って咲く
Tokaj Pendits winery Abaújszántó村 Hungary
2014.March20
美しい畑 すぐそばに、天に祈りをささげるマリア像がある。A Kálvária kezdőpontja
夏は、バルカン周遊
秋は、セルビアで収穫の手伝い(スボティツア、ハイドウコボ、スレムスキ・カルウロヴィッツ)
冬は、スボティツア市の、文学、建築の取材
スロヴェニア(ザゴリエ・オブ・サビ、コトレデジュ・トウルボブレ・リュブリャナ)
オーストリア(ウイーン)
the portal to the balkan , the border of hungary-Serbia
ハンガリーとセルビアの国境 Horgoš ホロゴシュ駅
Neum ネウム 海を見下ろす丘の葡萄畑
ボスニアの唯一の港町より、アドリア海に続く
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