花は人のために咲く ルードルフ・ボルヒャルト Rudolf Borchardt










 ドイツの詩人・園芸家ルードルフ・ボルヒャルトRudolf Borchardtは、

次の賛辞をゲーテ J・W・Goetheに捧げている。
彼自身、苗や鉢植えから育てるのではなく、すべて種子から育てたという。                                       

「花咲き生きる植物に関するどの発言にも、直観と呪縛と認識が、
解きがたく一体化していた。
それゆえ、彼は詩人として、花摘む人を、花を贈る恋する者を、
花を招来する庭師を、花を洞察する研究者を、一身に兼ねていたのであった。
 
ゲーテは力強い詩句と無気味なほど的確な散文に植物の外観的特徴を描写し、
神々の肖像と同様花々の肖像に感情と心情とを簡潔に美しく表現し、
プラトーンの思想神話以来、世界が夢想できたこよなく壮大な夢のひとつを、
原植物に夢見ていた。
  
                              
自由という情熱的な無秩序のもたらす痛みを知り、
その時、洞察の苦痛に対し希望を喚起することこそ、
詩に残された使命であった。
(詩という)不死性のみが、死すべきものさだめというものから分離できる。
ゆえに花は人間のためにのみ咲く。
 
運命が詩人をどの時代に配そうと、この二つの概念は一体となって
常に詩人に現れてくるだろう。


  「Der Leidenschaftliche Gaetner」by Rudolf Borchardt より





このような観念は、ドイツ人だけのものではないでしょう、
ただドイツの詩人は、この概念を美しく歴史に記しました、
さらに楽人たちの添えた音楽を通じて、
わたしたちは、より一層、国家間をこえて、親しむことができます
音楽家はその「詩」が詠まれてなければ、歌をつくることもなく、
詩人は、「花」がそもそも野に咲いてなければ、詩をつくることもなかった。

東北の災害の地で多くの花が手向けられているのを目にしました。
2011年 7月16日
                          













 Edmund Waller エドモント ウォラー1606-1687
                イギリス政治家・詩人  

Go, lovely Rose ~   
   Tell her that wastes her time and me,  
    That now she knows, 

 Go, lovely Rose ~   
     When I resemble her to thee,       

     How sweet and fair she seems to be.
 
 
ヴィクトル・ユーゴー (バラ品種名)
Victor Hugo  
「フランスの偉大と美は、他の民衆よりも腹に重きを置くところが少ない、(中略)それは、フランスが芸術家だからである。
ヨーロッパ、その文化の炬火(たいまつ)は、まずギリシャによって担われ、ギリシャはそれをイタリーに伝え、イタリーはそれをフランスに伝えた。文化の量は想像力の量によって測られる。文化の普及者たる民衆は、愛好者であっても堪能者であってもいけない。
ただ芸術家でなければならない。」

-以上、第四巻p260 豊島 与志雄訳 
やはり、フランスの国家的な文化助成は有名だが
花の分野でも、イタリア・ベルギーと共同でDAFA(Diplome D'animation Florale Artistique)という国家資格を設けそれは、文化発信の権利と義務を常に有してきたフランスの気概は、この世界的な詩人の高邁な理想とも、源泉を同じくしているでしょう。
現代においても我々がフランスの文化を暗黙のうちに賞賛している。
フランスの○○、パリの○○と言われると黙ってうなずいてしまう
 

Les Miserables「レ・ミゼラブル」第4巻より
 
~1832年6月6日の午前11時ごろ、人影のないリュクサンブールの園は
麗しい様を呈していた。
五目形に植えられた樹木や花壇の花は、日光のうちに香気や眩惑の気を送り合っていた。
真昼の光に酔うた枝々は、互いに相抱こうとしているかのようだった。
 
花壇のうちには、百合の花が、もろもろの花の王らしく咲き誇っていた。
それも至当である、香気のうちにて最も尊厳なるものは純白の発するかおりである。
チューリップの花は日の光を受けて、金色に紅色にまたは燃ゆるがようになり、(略)
 
豊かな光にはなんとなく人の心を安らかならしむるものがあった。
また雨が降ったために一握の塵埃(じんあい)もなかった。

あらゆる種類のビロードや繻子や漆や黄金は、花の形をして地からわき出で、
一点の汚れも帯びていなかった。
壮麗であるとともに瀟洒(しょうしゃ)であった。

楽しき自然の沈黙が園に満ちていた、巣の中の鳩の鳴き声、群蜂の羽音、風のそよぎなど
無数の音楽が聞こえていた。
ライラックの花は終わりに近ずき、素馨(ジャスミン)の花は咲き初めていた。
鈴懸(すずかけ)は新しい樹皮をまとっていた。マロニエのみごとな木立は微風に波打っていた。
近くの兵営の一老兵士は、鉄門から園の中をのぞいて言った、「正装した春だ。」