鹿の子百合 Lilium speciosm
もとはすべて東洋の、カノコユリ、ヤマユリ、テッポウユリという艶やかな原種と、
西洋の簡素なマドンナ・リリーとの掛け合わせによるものであり、
それらは、日本の原種の香りとしなやか姿、模様を失い、
硬直した姿形と日持ちが売りのグローバル流通に適した加工品。
すべてに育成者権がチャージされオランダの企業、国の繁栄に繋がっています。
世界の街の花屋にこれら原種の百合が決して置かれることはない。
バラも然り。
太古の昔、この世界を有り余る豊かさで覆いつくしていたであろう花々は、
東洋にのみ氷河期を生き抜いた原種が授かり、
私たちは、売り物の百合に一瞬だけでも、
その幻を見、名残を辿る。
その幻を見、名残を辿る。
頂くよりも、差し出す事に喜びを与えてくれる、花に宿る、何か不可思議な力。
「わが愛する者よ 請ふ、急ぎはしれ香はしき山々の上にありて 獐(シカ)のごとく 小鹿のごとくあれ」
旧約聖書「雅歌」第八章十四節
Make haste, my beloved, and be thou like to a roe or to a young hart upon the mountains of spices.
シーボルト(1796-1866)
日本から持ち帰った1832年に、
オランダのライデンで咲かせたという記録があります。
「オランダと申す国の者、東洋を征服す、然る後、東洋の花々、オランダを征服す」
有史以来、他国の実効支配を受けず、
その地理的な恩恵がゆえに培われた日本人の持つ精神性、海外の人々が日本に抱く印象、その幻影をこの原種のユリは、象徴している様な気もします。
カール・ヨハン・マキシモヴィッチ
(1827-1891)
Carl Johann Maximowicz
Карл Иванович Максимович
1864まで日本に滞在。 1871年ロマノフ=ロシア帝国科学アカデミーの正会員
東アジアを渡り歩く、シーボルトやツンベルクの標本、研究資料を、そして川原慶賀の描いた日本植物の写生画をサンクトペテルブルク帝立植物園アカデミーに収集。
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