Akira Sugenoya speaks in July 14 2012 長野県 松本市長 菅谷昭さんの講演


昨年度Facebookに上げていた記事です。
当時、数カ月の間、この問題を調べていたので、
私はベラルーシで活躍した菅谷市長に御会いできるのを心待ちにしていました。
インターネット上で確認できる過去の講演などと同じで、今回の講演内容に取り立てて大きな新しい事実はありません。

結論から言うと、「現地で経験してきたものとして、内外の被曝に気をつけて欲しい、そしてこの問題に被害を受けている福島県を中心とした人々にも目を向けてほしい」というメッセージを私は受け取りました。

しかし、どうしても聞きたかったこと、これを最後の質疑で質問しました。

「チェルノブイリ周辺3国は、事故後10年の緩い基準による被害増大が考えられます。(市長はウンウンうなずきながら聞いておられた)
現時点で最少の被曝に留めるに越したことはないと思いますが、現在の、現地の子どもたちは、どういう食品基準で生活して、どういう健康状態なのでしょうか。・・・少しでも福島で生活する、また他県の人が判断できるような事実をひとつでも教えて頂けますか。」

少し言い換えると、最近のベラルーシを伝える限られた報告(セシウムの半減期はまだである)を読むと、今でも保養地に期間滞在する子どもは、汚染地域で居住し、また被曝直後に生まれた両親の子ども(被曝2世)、多くが貧しい生活状態ため、汚染地域から移住ができず、マーケットの基準値以内のものを購入できず、庭の菜園での自給自足に頼っている、ということを知る。汚染地域で住まざるをえない国民が100万人以上はいるということ。

私は、官僚や富裕層などの子どもはどうなのか、ここ5年くらいで海外からベラルーシに移住してきた人々はどうなのだろうとずっと思ってきた。

ただでさえ、日本は、白砂糖+グルタミン酸ナトリウム+遺伝子組み換え農産物+不飽和脂肪酸(キャノーラ油など)+農薬(単位当たり世界一)+市販薬(精神薬、総合感冒薬、風邪薬、鎮痛剤、生理薬品)+病院で処方される薬剤(降圧剤、糖尿病の薬、精神薬、睡眠導入剤、リュウマチなど免疫抑制剤、抗コレステロール剤、ホルモン剤、)など

市民が日常的に摂取しているの量は、
これからの子供、若者が服用し、処方される質量と、
現在40代以上の子供のころの摂取量とは桁違いに多いのです。
それだけ、現代は化学物質の氾濫のもとにあるということです。

長期間の蓄積がすべてを決めるでしょう。

アルツハイマー型認知症、パーキンソン病、そして不整脈。
医師会、学会の資料をみてもどれもこれも原因を曖昧にしています。今すでに統計上で他の病気よりも群を抜いているのですから。
この3つは、死因の病気として爆発的に増えるでしょう。


さらに、自閉症、四肢まひ(ギランバレー)、あらゆる難病、これらが日常目にする機会の多いこと。父母や、祖父母に聞いてみてほしい。彼らが子供の時に、そういう子供たちが果たして学級に、学年にどれほどいたのか?

高齢者に対しても、医療の闇は覆いかぶさる。
抗がん剤市場は、ここ10年で、4000億円から8000億円。なのに、癌患者は、その期間、7万人近く、増えている。
アメリカは、OTAレポートで今から20年も前に、抗がん剤は、増がん剤と決めた。全米のあらゆる臨床事例をもとに。極少量を使うのがアメリカ、しっかり使うのが日本。その差、5倍以上。
医学会の人間たち、否定できるであろうか?

なぜ、地方の大病院は、すぐ、「胃ろう」をするのか?看護婦の手間、人件費をを省くためだということは、患者の家族がみな知っていることだ。
病院は、治癒するところであろう。治癒と称して、建物の中で、薬剤中毒・統制患者にしている。

白亜の病院の人間たちがが使う「延命」という言葉。 その延命の意味には、「長く鉄格子のなかの延命」と「陽光のもとでの延命」の2つの世界があることを。日本と欧米では、この価値観がまるで異なる。

その証拠に、アメリカと日本が大量の医薬品の市場投入を図っていることです。
そこにさらに、「放射性セシウム」という、内部被ばくで、蓄積するという
「ベクレル問題」が最後のとどめとして、日本人に入ってくるのです。

大いにそれてしまいました、話をもとに戻します。

市長の御答「・・・機会をみつけてお伝えしていきたい」

そう、たったこれしか、お答えして頂けなかった。
しかし、昨年の私は(今でもそう思うが)、私はそれで充分だった。

何故なら、

 ・今年初めの横浜での講演が妨害されたこと、
・IAEA(国際原子力機関)やWHO(世界保健機構)が、今までもずっと現地の事実を歪曲しようとしてきたこと
・ベラルーシ政府は原子力を推進するほぼ独裁に近い国家
・現在では汚染地に人を住まわせ、帰還させようとしている。
そして家族を持ち、松本市民の代表である氏が語れる言葉は限られる。市長が24万人の松本市民への責任という公務の合間にこのように、遠く離れた場所に来ていることに意味を感じるべきだなと改めて思いました。

☆他の参加者の質問(怒り気味に)
「私たちは、一体どこから情報を手に入れたらよいのでしょうか」
答えに窮しておられた、現時点が彼なりの精一杯の日本国民への態度なのだ。
「・・・皆さん、政府に頼らず、自発的に行動してください・・・」と私は
私柔和な笑みを絶やさない、氏の気持ちをそう汲み取りました。

☆「市長は一体何をしたいのか、このような講演で何をわれわれ伝えたいのかわからない、市長から新しい特別な情報開示を期待していたのに・・・という深い事情を知らない聴衆の身勝手な不満も聞かれた。

氏にさらに、公の場で責任を負う行為を求めるのではなく、それは氏より若い世代の行うべきことだと思う。

単身異国の災害地に足を運び、5年も数多くの現地の子どもを治療し、
医療技術を伝え、自らも被曝して胃がんになり、
人類が今まで経験してこなかったことに正面から取り組み、
真の交流を現地の市民と築いてきた、、そのような方に対して、、

誰がそんなこと、求める資格があるでしょう、
さらに彼に何を求めるというのでしょう、
心から、氏に敬意を持ち続けたいと思います。

いつだって文句と批評と、依存とう立場から抜けきらないのが、
わたし自身も含めた99%の人間がそうである。

人は皆、明るく楽しいものに目を向けていたいのに、敢えてそのような危険な場所に行く方に共通する無私の気持ちをお持ちの数少ない公の方の一人と思っています。

ただし、事実がひとつでも、原因と結果がひとつでも判れば、
真実に一歩近付く・・・そう願い私は、質問事項を文書にして講演後、市長に直接お渡ししました。
にこやかに、「うんうん、そのとおりだね、また連絡するよ」と御世辞かもしれないが、ただただ、最後まで氏は優しい柔和な表情だった。

本当に自分たちの生活を守りたいなら、自分で情報をとり、シェアしあうしかない、伝えてくる人をきちんと見極めながら、海外で、被害にあい、苦しんだ方々からその声と、市民のために勇気を出して声を上げている科学者の声に、アプローチすることも必要でしょう、、

今は情報が少ないので、立場の異なるもの同士が、都合の良い解釈でデマや誤謬がはびこり、公に発言する人は、糾弾の標的になる。
批判する人は、安易に人を頼っている甘えを自覚しなきゃいけない。
皆忙しいから、互いの助けあいもちろんだがしかし謙虚さがないと・・・
非公式な場で彼の答え、彼の紹介者からの情報を待とうと思います。

もしお答え頂ける機会があれば、そしてそれを信頼できる方々に、
自己責任をもって判断をされる方に、直接会って伝えていきたいと思います。間違っても、ネット上で公開したりすることはないでしょう。
それだけ配慮がいることと思います。

どうして、科学が私益という人間の業と結び付いて、
こんな後戻りできない厄介な複雑なシステムの社会になったのか、
つくづく不思議に思います。

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