敷島の大和心を人問はば朝日ににおう山桜花 本居宣長
Shikishima no yamato gokoro wo hito towaba asahi ni niou yamazakurabana *
* Anyone who ask about the spirit of Japanese,
I will say that is the scent of yamasakura hanging in the mornig sunlight
Motoori Norinaga
日本という花は、明治以降どのように咲こうとしたのか?
当時、ヨーロッパの地図を見れば、都市を横断してみれば、
ポーランド・ハンガリー・バルト諸国ほか、幾多の美しい花々を はじめ、数多くの稀少品種が、ドイツ・ロシアという巨大な花に、
大量破壊兵器による戦争と金融資本という、物質経済を主要な養分とした、
人間性とは隔離された花壇の中で、今まさに、その根をむしばまれつつああり、
実際その後、半世紀から一世紀にわたって、自由に花咲くことを妨げられた。
そして、日本もまた、いずれはロマノフ=ロシア王朝の侵略に晒される、日本はこのポーランドの受難から学ばねばならない、感受性の強い日本人ならば、きっとそう思ったはずでしょう。
のちの会津藩(Fukushima福島県)家老、山川大蔵浩 Yamakawa Oukuraが、
21才そこそこで 小出秀実を中心とした幕府の使節とロシアのサンクト・ペテルブルグに滞在した際、カール・マキシモヴィッチに出会ったかどうかは、わからりませんが、サンクトペテルブルグ首都散策で、植物園にはいって、日本の花々の標本が稀少価値の高いものとして展示されていれば、驚いたことでしょう。
山川 浩が、ビスマルクやナポレオン三世と謁見した王宮の庭、またその国の駅前広場で、街角で目にしていた花々は、どんなものであったのか。
またプロシア、ロシア、オーストリアに支配された、ハンガリー、ポーランド、リトアニア、などの被征服国の独立を目指す人々が、カフェで聞きなれない言葉で、血相を変えた顔つきで話し合っている姿を目にしたかもしれない。
まったく、環境の違う人間。
日本は、物質的な意味では、世界で第三・四番目の走者であったでしょう。
ドイツ人 Henry& Edward のシュネル兄弟 が幕末の会津藩に武器商人として参加します。山川浩もドイツ語、ヨーロッパ文化を事前に学んでいたはずです。
山川に限らず邦人留学生は、Frederic Chopin ショパンのことも耳にしていたかもしれません。同じ仮想敵国ロシアを持つ民族同士として、ポーランド人には温かく迎え入れられたでしょう。ショパン、当時のヨーロッパの特徴的な人間の元型のひとつ。
兵士としてポーランド軍に参加して、ワルシャワをロシアから守りたくても、自分には兵役にむいた体格ではない、しかし音楽によって、ポーランド人の心を高め、その抵抗活動を理念的に伝えることができる、仲間は若くして戦場に倒れている、その心情を音楽で表わすことができないか。
この独特な創造的意志は、異民族同士の戦争の絶えない欧州であるからこそ、湧きあがったものであり、地理的に幸運であった日本には生まれえません。
陸続きで、生まれながらにして、対立と相克を運命付けられたヨーロッパ人の若者の死が、声ならぬ声として、ヨーロッパの物質、アストラル体、エーテル体を支配し、
調和を使命としたヨーロッパの音楽家を刺激して、作品として結実させた。
生と死が、芸術と戦争が、同時期に映し出されていること、
当時の日本人が、chopin etude op10-1、 op10-12を初めて耳にしたときに
それが宿しているものに、どれだけ畏れを感じたことでしょう。
単に美しいとかいう感情ではない筈です。
さくら山 君が名残の言の葉の 花やいくよにさき匂ふらむ
Sakurayama Kimi ga nagori no kotonoha no
hana ya ikuyo ni sakiniouran
山川 浩 遺稿歌集『さくら山集』より
谷干城(たに かんじょう)申太郎
後に、山川と共に、西南戦争で、西郷隆盛の薩摩士族と戦う。
山川浩没に際し、下記の様に、弔文を寄せている
明治維新、余は軍務の乏(とぼ)しきを承(う)け、君の名を聞く。
丁丑の役、君は弧軍を拉き賊背を衝き、もって孤城を救う。
その功また偉にして、その賞は足らず。
その功に酬いるに、官はその徳を称せざる所なり。
しかるに君は坦懐(たんかい)怡然(いぜん)として、毀誉栄辱を忘る。
今や学術技能の人は雲の如くして、武夫の節操君の如き者は、はたして幾人か。
夜半端座して、君の操行を追懐し、覚えず慨然涙下るなり。
君はもとより和歌を嗜み、興に乗じ感に触れて、其の志を言う。
余はもとより和歌を知るにあらざる者といえど、しかるに君の人たるを知る。
すなわち敢えて他人に譲らず、故に辞せずして、これを序す。
時に明治三十五年四月 隈山居士谷干城撰
目が太陽のごときものでなかったら
Wär nicht das Wär nicht das Auge sonnenhaft
Wär nicht das Wär nicht das Auge sonnenhaft,
die Sonne könnt es nie erblicken.
Läg nicht in uns des Gottes eigne Kraft,
wie könnt uns Göttliches entzücken?
目が太陽のごときものでなかったら、
どうしてわれわれは光を見ることができよう?
われわれの中に神自体の力が生きていなかったら、
どうして神々しいものがわれわれをうっとりとさせることができよう? (高橋 健二訳)
Johann Wolfgang von Goethe
ヨーハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテ
Rachel Carson ~the writer of 「Silent Spring」
レイチェル・カーソン 「沈黙の春」著者
A child`s world is fresh and new and beatiful ,
full of wonder and excitement.
It is our misfortune for most of us that clear-eyed vision,
that true instinct for what is beatiful and awe-inspiring ,
is dimmed and even lost before we reach adulthood.
from her work 「the sense of wonder」
子供は、新鮮で、瑞々しい美の世界のもと、驚きと躍動に満ち溢れた中でその生を過ごすだが、大人の世界に飲み込まれるうち、いつしか
ビジョン、美意識や畏敬を覚える対象への直観を忘れ、それを失う。
And I wish this would be connected to all the communty funds
that managed by the people living with flowers in the world,
and we should watch and take care of this for a long term perspective.
Power of flower
アフガニスタン
ペルシャ語
قدرت گل
チューリップ
ハイチ 共和国
クレオール語
pouvwa flè
Roystonea regia ダイオウヤシ
インドネシア
インドネシア語
daya bunga
Melati / Jasmin
アラビア語 سلطة زهرة
シリア
アンズ杏 /Prunus armeniaca
アラビア語 سلطة زهرة
リビア
石榴/Pomegranate
the power of flower
フィリピン
マツリカ(茉莉花)/Jasminum sambac
the power of flower
イギリス
le pouvoir des fleurs
hatalma virág ハンガリー語
ゼラニューム(テンジクアオイ/Pelargonium )
moc kwiatów ポーランド語
gėlių galiaリトアニア語
ヘンルーダ/common rue/ Ruta graveolens
地中海沿岸地方の原産/ ミカン科
die Kraft der Blumenドイツ語
ドイツ: 矢車菊/Cornflower/Centaurea cyanus
オーストリア:エーデルワイス Edelweiss
kekuatan bunga
マレー語
シンガポール:Vanda Miss Joaquim ランの交配種となる「バンダ・ミス ジョアキム」
マレーシア: Bunga Raya ブンガ・ラヤ(Hibiscus ハイビスカス)
梅 an ume; a Japanese apricot
花卉的权力
中国
牡丹/peony
de kracht van de bloem
オランダ語
チューリップ/ Tulip
il potere del fiore
イタリア語
雛菊/Daisy
сила цветка
ロシア
向日葵/Sunflower
アネモネ / Anemone
The flower of power
Newzealand:ハナミエンジュ/ Robinia hispida
poder de las flores
スペイン語
コロンビア: カトレア/Cattleya
エクアドル: リカステ・スキネリ/Lycaste skinneri
Project Gracely presents
Watch the coflict between Life and Science through Fukushima
第一部 : 「Guest Speech」
福島の有機農家の方をお招きして、農業と国家、そして時代への考察を伺います。
国際間の農業競争における、安易なグローバリゼーションへの問いかけに始まり、
放射能、都市部での風評にさらされる中での、有機農業の現場の声をお聞きします。
当日、観客の方々との質疑に十分な時間をご用意します。
忌憚なく、意見をお聞かせください。
ドイツの有機農家からのメッセージがございます。
(全編、日本語で行います)
第二部:「Power of language ~Forum&Discussion 」
第一部の福島の声をもとに、我われの時代の核心を少しでも議論のなかで見出したい、
世界の有為な方々と話せるように英語を使用して。
新しい社会への考察の出発点にしてほしい、そういう願いがこめられています。
*当イヴェントの第二部は双方向性を旨とするため、聴衆の英語による、
積極的な議論への参加をお願いしております。
専門的な英語教授法を駆使したオリジナルメソッドによる、Facilitatorと聴衆との新しい形の議論。
(基本的に全編、英語で行います)
みずからインテリジェンスを掴みにいくことが求められ、
周囲との意識の交感が必要であり、交流からの衝突もある。
何よりも、明朗闊達なコミュニケーションこそ、「ゼロから何かを生む」手段であり、人間らしい解決法です。
また、ドイツの教育現場からのスペシャル・メッセージをご提供します。
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我々は、震災から何を学んだのだろう、どんな予防原則をあたらしくつかみとることができたのだろうか?
絆がうたわれ、同情の論調と風評が交差するばかりで、その場での感情にながされているだけではないのか。
日本の場の空気は、それだけで「倫理的な価値」をもたらすほど、大切とされる。
福島の県民、そして農家のかかえる苦しみは、その日本独特の空気のなかで、
醸成されるものも多分にあるのではないか
福島のひとびとが抱える「矛盾」をみていきたい、そこから海外の国々のかかえる問題もみえてくる。
「人類は、短期的視野で生産性の向上をめざす生き物である」
これは「科学」として、人間の尊厳、倫理に立ち向かってくる。
その矛盾の落とし所をみつけ、相反する要素を統合して(Synthesis)した
予防原則をわれわれは、用意しているのだろうか?
Shintaro Watanabe
福島総合農業センター展示 (郡山市)
東日本大震災より1年という特別な時期に、専門家と市民の意識の共有を目的に、開催します。
詳細は、このページで発表してまいります。
plannig: project gracely
facilitator & navigater: 英 利秋 Toshiaki Hanabusa
producer: 渡辺 信太郎 Shintaro Watanabe
special adivisor & producer: 山片 重信 Shigenobu Yamakata
福島県二本松市 東和町針道
福島県二本松市 東和町針道
福島県農産物 県開発オリジナル品種
二本松神社
JR二本松 駅前
JR福島駅