宮城県女川町コンテナハウス 花屋さん 7/16 .2011

私には目的があった。
まず訪ねてみなくてはという場所があった。

先月、初めてGoogle earthで、この女川の地を見たときに
愕然としました。地図で見られるかぎり、
花屋さんはすべてほぼ全壊のように見えました。
女川湾に面して、4つほど花屋さんをお見かけしました。(敬称略)

*フローリスト花かず
*佐藤生花店(フラワーショップさとう)
*花実咲き
*フラワーショップ花友
 
そんな中、女川コンテナハウスというものを知り,
you tubeで見たときに「あっ」と思いました。

「フラワーショップ花友」さんのお名前が挙げられていたのです。
(先月、このブログの「Book of days」の項でご紹介)

岩手、宮城、福島の被災地域でお花屋さんは、30-40件ほどで
再起の意志を述べられている一時閉店のお店、なんとか再開できたお店など
ブログで状況を把握できるお店は数件に限られていました。
そんな中での、ひとつの良い兆しのようなニュースでした。

花屋さんもそうですが、地域の人々の生活に根付いた商店の運営に、このコンテナは
これは、菅原 出という方が発案し、イタリア製のコンテナハウスを利用し
設置に時間と費用がかからず、そして場所の融通がきかない国の仮設住宅と違い、
利用者のニーズに適した場所に設置できるものです。
ココニコ様(株式会社Zenpro様)が運営し、
NPO・難民を助ける会さまへの一般寄付を呼びかけ、コンテナ利用者に無償で提供されています。

自治体や消防署の仮庁舎、そして自治体の復興計画なくして自分の土地でも
家を建てられない、商売をはじめられない方々に、無償で提供されているということです。うまくマッチしたといえるようです。

ファミリーマートをはじめ、ナショナルチェ-ン・コンビニの大量出店、
また被災はしましたが、県外顧客がいて、クラウド・ファディング(croud funding)=不特定多数の小額出資を集める中小企業、
これらニュースに掻き消されがちな

花屋さんをはじめとする、地元の愛好・消費に立脚した商店も、
地域の文化と特色をささえる上で、絶対に必要なものと私は考えます。
 
 国道398号線沿い、町立病院の下から歩いて西に15分くらい。
わたしは、夕暮れ時、閉まっていないかドキドキしながら向かう。
 
ありました!

 
赤いエプロンをした女性が戸口のところに、ちょうど立っていらっしゃっいました。
 
ご挨拶すると、「こんにちは」と静かで穏やかな口調。

(図らずも、私はお名前をききそびれました。以下、花友さんと呼ばせていただきます。)

ここに来た経緯を伝えたあと、フラワーキーパーとかはどうされたのですか、と聞くと、
中をどうぞと、コンテナの中をみせていただくことに。

瓦礫の間を湾のへりまで歩いてきたから、くさいかなと心配したが、
「どうぞ」
あ、ひんやりした空気、花屋さんのにおい
花がいっぱいだ。ところ狭しとぎっしり。
 
表参道の紀伊国屋のエスカレーターをあがったところの
小さなスペースのちょうどクリスマス時の様子を思い出した。
奥にエアコンが。
 
紫のスターチス・赤白複合のミニカーネーション
ユリ・小菊・オレンジ色の紅花
そして赤とピンクのバラ。
 
ちょっと窓べりにおけるグリーンもたくさん並べられています。
すぐ、お祝いに差し出せるように、ラッピングとリボンもつけて
このリボン・・・
 
そう、表のポップスタンドの言葉も、「Welcome!!」の幕も、
今、写真で見返しても、わたしが今回たくさん訪問して、みてまわったポップの中でも
 気持ち`がつたわってくるのもので、お世辞でなく、いちばんかもしれない。
 
  
「もとのお店はもうすこし大きかったんですよ。ここはその4分の1くらいでしょうか。。」
マリンパル女川(写真右下の茶色の建物)の左手前にお店はあったそうです。
今はなにも残っていません。(手前の手すりは女川町立病院)
 
東京の震災前後の下降する花き消費事情、ガーデンローズのことなどお話すると、
「こちらは、もうお花があること、あるだけで、せいいっぱい。ありがたいんですよ」
 
わたしはことばが詰まりました。
ほんとうに、一本一本がたいせつなものであることを、
町民の方々への気持ち、無償でコンテナを提供して声をかけてくれた方への感謝を、
そして、花友さんはご家族のことをお話くださいました。
ぽつり、ぽつりと、思い出されるように。

何とお声がけしたらよいかわからなかった。

・・・・・・・・・・

お父さまが行方不明のままであること。

漁師で船で沖に逃げられたが、しばらくした後に、女川湾から15分ほど離れた沖合いに
ご所有の船だけが見つかったこと。
「他の町民のご家族のことを聞くと、自分の家族のほうがまだまだ。。」

胸がつまる思いで私は聞いた。
 
「まさか、お店を再開するなんて思ってもみなかった。」

「でもこの女川湾からくる潮のにおい。」
 
時間がたってくると、過去に生きてきた時間がよみがえってきて
またここに住みたいと思うようになり、町内の皆さんからも声をかけられて、

「それならもう一度」
 それまでは、町のみなさんは、イオン石巻に買いに行かれていたので

「ああ良かった、よかったね!」
「やっぱり、なんかのときにお花がないと、さびしいんだよね!」
口々に言われるそうです。

花友さんの嬉しそうな顔に、わたしも嬉しくなりました。
 
 
仙台花き市場内のお付き合いのある仲卸さんをご利用になり
こまめに仕入れに行かれているそうです。

今は何が売れるかは、(石巻ほど)葬儀用花の需要というわけでもなく、
とにかく試行錯誤であると。
電話もネットも使えないなか、娘さんが携帯のミクシィで窮状をうったえたところ、ご友人、知人から、
「ほんとうにたくさんの、資材、リボンや綺麗な包装紙、使いかけでも丁寧に巻いた状態で
送られてきた」とのことです。
ここで、石巻の立花屋さんとまったく同じことばを、、
「みんな、やさしくて、日本をみなおしました」
 
そして、先立つものについて。
聞くところによると、女川町の復興は、8年計画とのこと。
「8年も待てないわ」はにかみながら女性らしく言う。
原発については町民の方々は?

「今回も問題なかったので、今後もとにかく信用するしかない」
私は、ここをなんとか、インターネットで多くのひとに知ってもらって
観光地のようになり、非被災地のひとびとが足をはこんで
消費していただくようになればいいですよね、と口にすると
 
花友さんは、だまって無言で「今はそんなこと思えないし、期待なんて」というような
少しさびしげな微妙な表情をされた。
当然だ。7/1、今から2週間ほど前、一歩踏み出したばかりなのだ。
石巻の立花屋生花さんは、5月の連休あけだから、ほんとうに「ようやく」なのだ。
実はこの日、お昼ごろ、コンテナハスプロジェクトの関係者の方(発起人の方でしょうか)が
訪れてきて、花友さんがなんとか軌道にのせて感謝の旨を報告されると、
その方がぼろぼろと涙をこぼされたそうです。
話の途中で、元気な男の子がはいってきた。よそものの私に明るい表情をみせてくれた。
この子が青年になったとき、県外から、海外からも旅行者が訪れるようになれば。
そういう刺激は彼の成長には必要だし、それが街の成長そのものになるだろう。
時間はかかるが、正しく積み重ねてこそ文化だ。

私は、小さな花束を購入して失礼させていただいた。
コンテナハウスの他のお店もみてまわればとあとでおもったが、

もうじゅうぶんだった。こころに思うことがたくさんあり、
とにかく多くの友人、ひとびとにこのことをつたえなきゃと心に誓った。

帰り際に、撮った写真。 
商店街のかたがた、軽く会釈をむけてくださった。
 
「がんばろう」は町の人同士では、つかわないし、自ずとつかわなくなる、と
「とにかく、むりしないでね」と、精いっぱいがんばる人を思いやることばをかけあう。
花友さん、とても大切なことを打ち明け、教えてくださり、どうもありがとうございました。
また、皆で伺いますね、たくさんのひとにこのことを伝えます、それまでお元気で。
 


石巻市 立町商店街 花屋さん

We wish you step foward .2011/7/16~18 

Ishinomaki and  Onagawa 

連休を利用して
宮城県に訪問して参りました。
7/16 (金) 石巻市・牡鹿郡女川町 ⇒ 被災お花屋さんを中心に 
7/17 (土) 仙台市青葉区      ⇒ 市内中心部
7/18 (日)  東松島市         ⇒ 東松島VCにてボランティア
泊地を松島(JR松島海岸)を中心におき、左右に足を運びました。

東側には 
松島海岸-矢本:JR代行バス
矢本-石巻:JR(7/17開通)
石巻-女川:JR代行バス

西側には 
松島海岸-仙台・あおば通り:JR
詳細は、「Rebirth with Flower」の項に掲載しております。
石巻市/Ishinomaki



     石ノ森 章太郎 漫画館   Ishinomori Syotaro Manga -kan   









 Thank you very much for  the many countries`s people  after this earthquake. 
  You are like Cyborg 009  and our hero.                             
                              
We Japanese will never forget  your devotion and heart .
Now we can smile on the sunshine side  because  you did  on the rainy side.

 Mr. Ishinomori syoutaro san already have known this vision for the next man-kind world.
 (Writer of Cyborg 009 )

Hurry up ,hurry!!people were going upside on that day

女川町 (宮城県牡鹿郡) Onagawa cyo





Before sunset in  Onagawa




松島海岸/ matsushima kaigan
 暁   Dawn

Sunrise




   瑞巌寺  伊達政宗  菩提寺


  JR 松島海岸駅  夕映え


松島  温泉宿 懐古の風景










立花屋生花屋さん       Isinomaki city  Tatemachi shopping street  `Tachibanaya flower shop`

営業中とあったので、思い切ってお邪魔した、歴史のある看板のお店。
お店のご主人が配達にいかれているようで、奥様が店を取り仕切っている。
左側には、法事、お通夜のためのお花が、
菊の品種「神馬」とかかれた箱が目に付く。
お店の気が動いているように感じる。 そして足元はきれいに水をうってある。
このあたり一帯の生花店様は、被災後、
すぐに地元市場関係者から食料や支援金、
東京の資材会社からも支援を頂いたとのことでした。


この世のものと思えないほどの揺れ、前回の地震のときより、ひどかったわねと
お店の中でご家族は、お互いに無事を確かめ合って、

「小一時間はあったかしら」 
商店街の先、川沿いの道から、突如、大声が響いてきたそうだ。
「津波がきたぞう!」
その声とともに、、向かいお店の2Fで遊んでいたお子さんを
屋根から降ろし、車で文字通り「着の身着のまま」

「日和山公園」に向かったそうです。
血相を変えたであろう当時の表情を、ほんの一瞬だが、丁寧に
教えてくださる奥様の顔に映ったように私には思えた。

ご主人が配達から戻られたようだ。そのまま奥の電話口へ向かう。
忙しいのは、人を一時的にでも「あの日」のことを忘れることができる。

そして、私が伺ったときにご友人がお一人、
さらに途中でお一人、町内の方でしょう。お店を訪れてきました。

お互いの状況、表情をみて、そのときの気持ちを共有しあう。
Facebookでみなが互いの近況に書き込んだり、「いいね」ボタンを押しているのとおなじ。
お三方が話されてる中、私はじっとお店の周囲をみさせていただいた。
鍍金された、お花をさす仏具が、たとえ泥を落としても見た目は「商品」になりえない。
それが足元の箱の中に、たくさんおいてあった。


これは、とるものもとりあえず、予算をかけたくない「式」をされる方々のために
無償でご提供されるようです。

とにかく、日和山公園から帰宅すると、1Fは居住区であるのがやはり災いします。

フラワーキーパーはもちろん、家財道具一式持ち去り、
油の浮いたヘドロのようなドス黒い「足跡」が。
ただそのなかでも、立花屋さんが、トーンをあげて話されたこと、
わたしのこころにズドンと響いたのは、
「ほんとうに日本をみなおしたのよ、」ということばです。
「むかしのよさ、そういうものがきっちりのこっている」
とにかく、生き残った自分の次の仕事、次の進路への苦悩はさておき、
まずは、なくなった方の「供養」を町内のみなさんは、率先して行っているということ、

それなくして、前にすすめない
「区切り」そして「けじめ」。

限られた命である、生花の果たす役割は、まさにそれだ。 
夏のエネルギーをはかなくも鮮烈に、われわれに伝え切ってくれる、蝉の鳴き声もそうだが、
ケガレのない純白の花々は、日本人の中にある「清々しさ」を引き出し、
永遠の記憶を目に焼き付けさせてくれる。

まぶたを閉じればいつでも浮かんでくるように。
~~~~~~
石巻では、連日葬儀が催され、火葬しか済ませていないご家族が
日を置いて、きちんと葬儀をされるケースもあるそうです。
震災から5ヶ月たった8.11、NHKのニュースで、
海上保安庁では現在、行方不明者は、海に捜索がしぼられつつあるという。

行方不明で、持ち物、着物ひとつみつからなければ、
残されたご家族はどうやって、気持ちの整理をつければいいのだろう。

「安らいで」もらいたい気持ちとの間で揺れる気持ち。
まもなく、お盆が近い。 立花屋さんの、「ここぞ」のときが始まっている。
まさにお店の忙しさはピークを迎え、地域のひとびとに貢献するときなのだろう。

負けないぞ」というポーズをお願いした、私は自然にそうお願いしたい気持ちになっていた。
 
忙しさで張りのある表情は、次の苦難を乗り越える助走だ。
立ち止まらないで、町の皆さんと、ゆっくり走り続けて欲しいと思った。
 
心からお礼を申し上げ行こうとすると、玄関まで、笑顔で見送ってくださった。
 
暑い日差しだ。
石巻は10年復興計画。10万人規模の人口で、若者が引っ張っていけるかどうか。
ここが本当に、仙台市のような、アーケード街になるって?
「今年一年は、忙しいかもしれないんだけどね、、」
 
そう、先立つものは、いまだに不鮮明。
(都内の方は、川崎駅周辺の様子をイメージしてください)
全天候型でも、外気や景色が感じられないと、すこし風情がないかなと、漠然と思った。