ウクライナの食品・水の放射能基準値の変遷 (原発事故直後の1986年から1997年まで)


IPPNW核戦争防止国際会議による資料、ウクライナの食品・水の放射能基準値の変遷。

1986年のチェルノブイリ事故後、10年間、1997年1月までの非常に緩い基準値であることに注目したい。食物への汚染による内部被ばくには、「蓄積し、代謝されない」という問題がある。
日本は、ウクライナが、20年後にやっと制定した厳しい基準を、事故1年後には設けている事実は、チェルノブイリ並みの最悪の事態は防げてはいるとは考えられるのではないだろうか。 
安心を伝えるつもりはありません、ただでさえ、農薬、化学物質まみれの食を日本人は摂取しているのですから、1ベクレルだって、細胞遺伝子に傷をつけ、修復を遅らせるものを取るべきではありません。
 
逆にいえば、ベクレルだけを気にしていても駄目だということに、
コンビニ、スーパー、外食に氾濫する食の危険を、強力に連想させてくれた、ということです。 福島では、事故直後の、ヨウ素による甲状腺への影響の調査はまだまだ足りない、そして患者へのフィードバックが少ないとの情報も聞きます。 
さらに言えば、内閣府での福島県の被災者の健康管理の一元化は、
本当に県民の為なのかも不明です。

①ガラスバッジ計測の不透明性⇒(線量の少ない、昨年後半の3か月分を4倍して、年間の実効線量とみなすまやかし)
 
②原発作業者の放射線管理・作業待遇の問題⇒(浴びた線量の改ざんなど)
 
③農家の作業環境⇒(農産物への移行は少なくとも、作業者の健康が問題)、
 
原発は、なぜ、誰が、何のために作ったのでしょう。 
その出発点からして、本質的に社会を分断する、差別化するシステムであり、支配する側にとっての利潤追求の道具でしかなかったことは周知の通りです。 
差別のシステムは、「原型」は単純ですが、非常に巧妙に、広範囲に「変容」しています。資本主義医療、資本主義の「食」、市民が絶えず監視し、学んでいくしかないでしょう。
政治家に文句を言う前に、自分たちで調べること、真の認識は、知性と経験から生まれるもの、何も起きていないように見えるときから、動くしかないでしょう。
 
 

 

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